こんにちは。「お父さんのTerraNest」です。
今日は、7歳の娘と一緒に“夏を探しに行った”日のことを書こうと思います。
きっかけは、学校から出されたひとつの宿題でした。
タイトルは「夏を見つけよう」。
いつもなら、娘は「何にしようかなぁ」とつぶやきながら、考えるのが定番。
でも、この日は少し違いました。
「探しに行く?」
僕はソファに座って、そんな娘の様子をぼんやりと眺めていました。
“どうせなら一緒に探しに行ったら楽しいんじゃないかな”
そんな思いがふと浮かんできて、声をかけました。
「それなら、夏を探しに行く?」
娘は顔をパッと明るくして、「行く!」とすぐに答えてくれました。
こういうときの反応って、本当にうれしいですよね。
セミの声が聞こえる方向へ
外に出ると、あちこちからセミの鳴き声が聞こえてきました。
夏らしい音に包まれて、気分もぐっと上がります。
「木にいる」と娘は言って、木をじっと見つめたり、葉の裏をのぞいたり。
「これかも!」「ちがった〜」と楽しそうに探していました。
そんなとき、不意に娘が僕の手をにぎってきたんです。
その小さな手の温かさに、ちょっと胸がいっぱいになりました。
7歳になると、手をつなぐことも少しずつ減ってきます。
だからこそ、ふとした瞬間につないでくれると、心がじんわりとあたたかくなります。
「抜け殻なら見つかるかもね」
セミは見つからなかったけれど、「抜け殻ならあるかもしれないね」と話して、今度は木の根元やフェンスの下を探してみることに。
娘はしゃがんで、真剣な顔つきで探していました。
でも、なかなか見つかりません。
「いいひんな〜」「どこにあるやろ」
そんな言葉を交わしながら歩く時間は、とても穏やかで心地よいものでした。
成果はなかったけれど、“探している時間そのもの”がすでに夏の思い出になっているような気がしました。
思いがけない“発見”は帰宅後に
しばらく探してもセミも抜け殻も見つからなかったので、いったん家に戻ることにしました。
帰宅後、妻にセミや抜け殻が見つからなかったことを伝え、しばらくして妻が犬の散歩に出かけました。
犬の散歩から帰ってきた妻が、こんなことを言ったんです。
「セミの抜け殻があったよ」
えっ、あったん!?
僕たちが探し回ったのに、お父さんとしての威厳が…笑
そんなことより、娘は大喜びで、さっそく抜け殻を観察していました。
娘の宿題はこれで完璧です。
宿題に描いたのは、まさかの…
娘がセミの抜け殻を観察して、絵を描いて、写真も撮って…
と思っていたら、娘が描いたのはセミの抜け殻ではなく、普通のセミ。
思わず「セミかい。抜け殻書かへんのかい。」と言ってしまいました。
思わず笑ってしまいました。
見つけたのは抜け殻で描いたのはセミだったけど、娘なりに“夏を感じたもの”を描いたんだなと、なんだか嬉しくなりました。
子どもと一緒に「探す」ということ
今回、一緒に夏を探しながら感じたことがあります。
それは、すぐに答えを与えないことの大切さ。
親としては「ここにあるよ」と教えてしまえば、宿題はすぐに終わったかもしれません。
でも、それでは“探す楽しさ”や“発見の感動”は味わえなかったでしょう。
娘が自分の足で歩いて、目で見て、感じたこと。
それこそが、本当の意味での「学び」だったと思います。
まとめ:見つけたのは、季節と心のつながり
セミも抜け殻も見つからなかった時間があって、
ようやく見つけた抜け殻があって、
でも最終的に描いたのはセミだった。
いろいろなことがあったけれど、
何より心に残ったのは、娘と一緒に歩いて探した時間と、
そっと手をつないでくれたあの瞬間でした。
こういう小さなできごとを大切にしたい。
そして、こういう日々を忘れずにいたい。
そんな思いを込めて、今日もこのブログを綴っています。
ちなみに3歳の娘も帰宅後、セミの抜け殻に興味津々で観察していましたとさ。